原左都子も今年から「母の日」のプレゼントを中止した。
昨日付の朝日新聞記事に「母の日 感謝できない私は 街にあふれるムードが苦しい」を読んで。
本日のエッセイテーマを、冒頭表題に絞り込んだ。
その朝日新聞記事の一部を、以下に引用しよう。
関東地方に住む女性(30)は、6年前に母の日の贈り物をやめた。
母の趣味のガーデニングにあわせて毎年、植木を贈ってきた。 色や種類など重ならないように工夫していたのに、「花ばっかり」と落胆された。
欲しかったものを尋ねると、挙げられたのは高価なブランドバック。 思いを否定された気がして、やめる決断をした。
しかし気は晴れない。 今は連絡も絶っているが、むしろ母の日が近づくたびに自己嫌悪に陥るようになった。
戦後の日本では、母をたたえる作文を書くなど学校教育が主導。 高度経済成長期には「夫は仕事、妻は家庭で子を守る」という家族像を根付かせるツールとして用いられた。
家族のあり方が多様化する現代でも「良い子象」はついて回る。 ただ、中にはそれを「やめたい」「できない」人もいる。 そうした多様な事情への配慮が必要ではないか。
(以上、朝日新聞記事より一部を引用したもの。)
原左都子の私事に入ろう。
以前(goo時代だったかもしれないが)、我が母に関する批判的思いをぶちまけるエッセイを綴り公開した記憶がある。
我が家の両親は、決して仲が良くなかった。
それは両人共々の責任と、私は捉えていた。
ところが、母の考えが全く違った。
よく次女の私を捕まえては、「お父さん(私の父の事)の性格や心が歪んでいるので、どうしても夫婦仲が上手くいかない。 全ては父側が悪い!」
幼き頃の私は、(そうなんだ)と信じさせられていたが、大きくなるにつれ、父に関する苦情を幼き私を捕まえて言いふらしているのは母側のみであることに気付いた。
そんな母のたちの悪さは、高齢域に達する程に増強してきた。
その父が無くなったのは、69歳時。 早い死期だったと私は感じたが、どうも母親はそれを喜んでいる様子だった。
父の葬儀には、母方の親族(父方親族も少しは出席して下さったが)を大勢集めて、どんちゃん騒ぎを母が始めたのには驚くと共に疲れ果てた私だった。
その後、母にとっては“この世は天下”状態に変貌した様子であると共に、母の性格が大きく歪み始めてしまったものだ。
たとえば、近所の人に喧嘩を売って引越させたり。 とにかくわがまま放題の一人暮らしをして、母方の親族からも東京暮らしの私宛にそれらのクレーム報告があったりして、難義させられたものだ…。
そして、母は昨年の今頃に「脳梗塞」を発症し、現在はその面倒を診てくれる高齢者施設へ引越している。
幸い、施設からは何らの連絡も無いことを幸いとして。
とにかく、母の葬儀は私が出すしかないのは承知しているので。とにかくその日を待っている状況だ。
その母の「脳梗塞』に今は助けられているのが、正直なところだ。
今のところは命には別状はないようだが、とにかく、頭がまるで働いておらず、自身の生活のお世話も100%施設担当者の皆さんがきちんとして下さっている事実に大いに感謝申し上げつつ。
母の葬儀を出すのは、この世にこの私しか存在しないため、それは責任もって出すつもりでいる。
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